大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡家庭裁判所 昭和41年(家)511号 審判 1968年4月13日

申立人 梨本秀明(仮名)

相手方 梨本サチ子(仮名)

主文

本件申立を却下する。

理由

一、申立の要旨

申立人は「相手方は申立人と同居して、協力扶助せよ」との審判を求め、申立の実情を次のように述べた。

(一)  申立人と相手方とは夫婦で、両者の間に長男秀夫(昭和三四年九月一六日生)があり、特に申立人は負傷して身体不自由であつて、相手方の同居と協力扶助を必要とする状態にある。

(二)  相手方は他の男関係をもち、中立人が昭和三九年九月頃久留米市の○○○○病院に入院中相手方の実家に帰つたまま、申立人の同居要請を無視して申立人の許に帰えらなくなつた。その後の昭和四一年六月二二日相手方は申立人に対し離婚話しは一切しない旨の誓約書を差し入れ、申立人の許に帰えるように装い、当時申立人の実家にいた長男秀夫を連れ帰えつたが、右誓約に反し申立人の許には帰つて来なかつた。

(三)  申立人は子供の幸福を考えると共に、自己の身体が不自由で、この際相手方の愛情のある協力扶助を得て、生活を立て直したいので、相手方の不貞の行為も咎めず、是非とも相手方に帰えつて来て貰らいたいため、本件申立に及んだ。

二、当裁判所の判断

本件記録および関連記録(昭和四二年(家イ)第四五二号)中の戸籍謄本、家事審判官の相手方に対する審問調書および審問の結果、当裁判所の照会に対する○○病院、○整形外科医院、○○○○病院の各回答書、家庭裁判所調査官田熊一之助作成の調査報告書、同調査官楠本高敏作成の調査嘱託経過報告書を綜合すると、次の事実が認められる。

(一)  申立人は相手方と昭和三一年三月二日頃結婚し、昭和三二年一一月一四日婚姻届出をし、長男秀夫が昭和三四年九月一六日出生した。ところが、申立人は伐採に従事していた昭和三四年六月頃の夜間帰宅途中道路下に転落して、頸推骨折、四肢麻痺等の負傷をし、爾来病院を転々として入院生活を送るようになり、治療の結果手の運動は多少できるようになつたが、下肢の麻痺は解消しないで身動きができず、相手方が便所の世話もして附添い看護していたが、右負傷後においては全く夫婦関係は不能の状態となり、医師も病状回復の見込みを明らかにせず、相手方はその回復について絶望感をもたざるを得なくなつた。そして、申立人は無資力のため医療保護を受けて入院を続け、相手方は日雇いなどもして生計を立てていたが、そのうち申立人において相手方に男から電話がかかつてきたとか、帰えりが遅いなどといつて、充分の根拠もないのに相手方が他の男と関係ができたと邪推して嫉妬し、時には相手方に食器を投げたり食台をひつくり返えしたりなどして乱暴も働き、遂に相手方は申立人に対する愛情も失い、夫婦生活の中に何の希望も持てないようになつた。

(二)  かくて、相手方は五年余に亘る看病も空しく、昭和三九年九月長男秀夫を申立人の実母に預け、申立人との離婚を希望して相手方の実家に帰えり、申立人に離婚話しをもちかけたが、申立人は離婚には絶対応ぜられない旨表明し、話し合いができないまま相手方は身をかくして衣料品店などの勤めに出るようになつた。その後の昭和四一年三月初頃申立人は当時泌尿器科(外尿道瘻)の手術を受けるため入院していた久留米市の○○○○病院での治療が一応終つて、更に他の整形外科病院に転院するため、一時実家に帰宅し、長男秀夫らと生活するようになつたが、実家でも申立人の実父源太(当六七年位)が脊髄骨折(身体障害者四級)で寝たきり、実兄春夫(当三八年)が先天性骨髄症(くる病の疑いもあつて、身体障害者四級)のため、いずれも身体不自由であつて、実母チカ子(当五八年)が一反余の農耕に従事しながら、かろうじて家族の面倒をみている有様で、申立人から相手方に対し再々同居方を求めたが、相手方はこれに応じなかつた。

(三)  そこで、申立人は同月末頃当裁判所に本件申立をし、当裁判所の調査および審理が進行中、同年六月二〇日頃相手方は申立人に対し、今後離婚話しは一切しない旨の誓約書を差し入れた上、申立人の実家から長男秀夫を引き取り、相手方の実家でその面倒をみるに至つた。しかし、相手方は申立人と同居する意思がなく、申立人からの再々の同居請求にも応ぜず、遂に昭和四二年五月単独で大阪市方面に出奔して、その所在を晦まし、現在申立人は肩書病院に再度入院中であり、相手方は何処でどのような生活をしているか不明である。

以上認定の諸事情に鑑み、先ず、申立人の本件同居請求の当否について判断するのに、申立人と相手方との婚姻関係は現に継続しているから、相手方は申立人との同居を拒否するについて正当の事由がある場合でなければ、同居の義務を負うことはいうまでもないが、次の事情を勘案すると、相手方にはその同居拒否につき正当事由があるものと認めるのが相当である。即ち、申立人は昭和三四年六月頃頸推骨折等の負傷をして以来、下肢が麻痺して、歩行および性的不能となり、現在なおその回復の見込がないし、妻子を養育できる資産もなく、その経済的能力もない上に、その性格が自己中心的で嫉妬心が強く(この点は長期療養の環境などもその一因といえよう)、折角相手方が五年余に亘り親身に看護を尽くしていたのに、充分の根拠もなく相手方に男ができたと邪推をして嫉妬し、時には物を投げるなどの乱暴もし、その結果相手方をして申立人に対する愛情を喪失せざるを得なくせしめたし、一方相手方は当二八年で未だ春秋に富むが、その結婚生活には将来に何の希望も持てず、申立人自身が現に入院中で、同居といつても、その実体は療養看護をすることであつて、かかる環境下では相手方自身が生活難に陥入ることも充分に予測され、その事情はたとえ申立人が自己の実家で療養生活をする場合でも大差がなく、物心両面に亘つて同居生活に堪え難い現況にあることが認められるからである。なるほど、申立人は不慮の負傷によつて肉体的、経済的生活力を失い、しかも当八年の長男があつて、妻たる相手方の同居生活を求める心情には、無理からぬものがない訳ではないけれども、長男は相手方の実家で現に養育されていて、この点には特段の不都合は生じていないし、この際自己本位の立場だけを固守することなく、相手方の立場をも充分考慮し、夫としての妻の幸福をも尊重する責務があるということができよう。従つて、申立人の本件同居請求は、現段階の下では失当として却下するの外はない。

つぎに、申立人の本件協力扶助請求の当否について判断するのに、右協力扶助義務は妻の夫に対する扶養義務と解すべきところ、相手方は現在その所在が不明であつて、相手方の経済的能力もまた明らかでないから、相手方の申立人に対する扶養の程度および方法を定めることができないので、本件協力扶助請求もまた失当として却下しなければならない。

よつて、主文のように審判する。

(家事審判官 小川宜夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例